成功する人生

自分の人生の記録に書いてるので、興味があれば見てください。

まあまあ波瀾万丈な人生  9

 こうして私は、実家に帰ることになりました。

 私は、高校時代に寮の先生が、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」という本をもっていて、おもしろいから読んでみなさいと貸してくれました。この本は、幕末の志士、坂本龍馬の物語で、この男はなんて魅力的な人物なんだろうと、物語に入り込んでしまい、学校もサボって、寝ないで寮の押し入れに隠れて読んでました。いつか俺も何か大きな事をしてやる、海を渡るんや、とか思っていました。なんか若かったです。今は、ささやかでいいので、温かい家庭を持って、家族のため生きたいと思っています。まだ、家族はないですけど・・・

 

 

竜馬がゆく (新装版) 文庫 全8巻 完結セット (文春文庫)

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 こんなことも考えていたので、実家に帰ってすぐに、母親にアメリカの語学学校へ行くから、300万貸してくれと言いました。答えは、NOでした。この時も、文句言ってましたね。

 仕方がないので、アルバイトをして、お金をためながら、英会話教室に通い始めました。やはり半端な私は、最初の二、三か月は、頑張っていたのですが、友達と遊ぶのが面白くて、英会話も行かなくなり、お金も遊びに使ってしまい、全然、貯まりませんでした。そうして、一年がすぎ、アメリカに行くことをあきらめてしまいました。今は、だいぶ治りましたが、この頃の私は、何をやっても中途半端で、すぐに諦めてしまっていました。

 

 今は、辛抱強くやる気があります。これは、オナ禁(断射)の効果もあると思っています。前頭葉が、発達するので、ヤル気に満ちてくるし、何故か、自分ならできるという、変な自信に満ちています。だから、是非とも若い人には、オナ禁をやってもらいたい、わかっています。私もオナ猿だったから、若い人にとって、それがどれ程辛いことか、でも、あなたが、オナ禁をできたなら、きっとあなたの世界は変わります。保証します、私はすべてが変わっていっています、今も、現在進行形で、どんどん人生がよく成っています、まあ、失敗もしていますが、常にポジティブになれます。確かに辛いです、今でも、ときどき気が狂いそうになるときもありますが、何とかその波を超えれば、平気になってきます。私のモットーなんですが、「やらずに後悔するより、やって後悔するほうがいい」というのがあります。失敗も、たくさんしていますが、後悔することは少ないです(やっぱり、後悔することもありますが、気持ちはすがすがしいので、後をひきません。)。若い人にはとりあえず挑戦してみてほしいです。

 

まあまあ波瀾万丈な人生  8

  こうして、私は、大学受験に失敗しましたが、まだ、働きたくなかったので、両親に浪人させてほしいと言いました。しかし、兄弟も多いし、そんなに裕福な家でもなかったので無理だと言われました。 でも、大学にいって遊びたかった私は、いろいろ調べて、新聞配達奨学生という制度を見つけました。これは、新聞配達をするかわりに、学費と、住むところと、朝、夕食、あと、少ないですが、いくらかのお金をくれる制度です。これなら、両親に負担をかけずにいけるので、これを利用して予備校に行くことにしました。

 

 配属された新聞販売店は、家族で経営されていて、朝早い仕事だったので、寝ぼけていて、よく配達先を忘れたりして迷惑ばかり掛けていました。このころの私は、しょーもない男だったので、すごいよくしてもらってるのに、文句ばっかりいっていました。朝ご飯は、おかわり禁止だったので、けち臭いとこやなって思ってました。誰かが食べ過ぎると、ほかの人の分が足りなくなるからなのに、あの頃に、戻れるならぶん殴ってやりたいです。

 住むところも、風呂なし、共同便所のボロアパートで、一人、痴呆症のお婆さんがいて、トイレ全開で、何か叫びながらうんこしてました。よく「うるせい、くそばばあ」と、叫んでましたね。

 

 私の住んでいた地域は治安が悪くて、道に、全裸の酔っ払いが寝ていたり、ルンペンが溝でうんこしてたりしました。ある日、銭湯に行くと、いつもは、人がいっぱいなのに、浴室の入り口の前に、服を着たまま、ビールをもった若い男と、タオルをもった若い男がいました。何か変な感じがしましたが、中に入ってみると、貸切状態の浴槽に、見るからに、その筋の人が煙草を吸いながら浸かってました。これは、やばいと思ったんですが、体だけ洗って、マッハで出てきました。今は、考えられませんが、その当時は、そんなことがありました。

 後、その時の先輩に誘われて、初めて風俗にいきました。そうです、私は、風俗で童貞捨てました、変なオナニーをしていたので、あまり気持ちよくなくて、こんなもんかって思いました。

 

 こうして、一年間の浪人生活がおわりました。根性なしの男でしたから、新聞配達しながら、勉強なんてできる訳がありません。受けた大学は、ことごとく落ちてしまい、実家に帰ることになりました。つづく

 

 下は、今、私が読んでいる本です、読み終わったら、また、感想を書きます。本を読むということは、その著者が、何年も掛けて経験してきたことを、短い時間で共有できるのでお勧めです。良かったら読んでみてください。

悪魔を出し抜け!

悪魔を出し抜け!

 

 

オナ禁について

  私は、現在、オナ禁をしています。オナ禁っといっても、断射で、一切、射精していません。前に、8ヶ月ほどして、一度、リセットして、今は、半年ぐらいになります。

     そして、今、すごいムラムラしています。ナポレオンヒルの[悪魔をだしぬけ]という本に、成功者は皆、この性エネルギーを昇華して、成功する為のエネルギーに変えている。という、内容のことが書いています。ちなみに、ナポレオンヒルとは、たくさんの成功者の話を聞いて、本を書いた人です。

     私も、この話を聞いて成功者になりたい思いと、モテたい思いでオナ禁しています。

    しかし、非常に波があります。この射精しないでいることは、かなりの苦行に感じています。しかし、私は、今の彼女と子供を作る目的以外でセックスしないつもりでいます。彼女なのに、いろいろ事情があって、セックスしていません。

    断射をしているせいなのか、時々、女性と話をしているとき、その女性が光に包まれてるように見えて、ものすごく綺麗に見える時があります。多分、本能が子孫を残さす為に、何かしら作用しているのではないかと思います。多分、モテるのも、よくフェロモンがでているといわれますが、そういう作用なのではと思っています。

    ただ、今は、出したくて仕方がないですが、耐えつづけようとおもいます。

    オナ禁すると、前頭葉が発達するといいますが、これは、前頭葉は、我慢をすると、発達するらしいので、オナ禁するということは、凄まじい我慢をしていると思います。

     今の時代は、簡単にエロい画像や、動画が手にはいります、こんな環境の中でエロを排除し、本能の欲求に打ち勝つのですから、そりゃ成功するわって思います。こんな意思の強い人間なら、何でもできるやんって思います。

     私は、オナ禁(断射)を始めて、まだ、日が浅いですが、耐えられると思っています。私の好きな言葉に、[人は生きながらに、生まれ変わることができる]というのがあります。

     私も、実際、何度も生まれ変わってきました、細胞だって、三ヶ月ぐらいで、すべて生まれ変わっていて、体は、まったくの別人になっています。だから、私は、また、生まれ変わってさらなる高みを目指したいと思います。

 

      ただ、これだけは言えます。オナ猿の頃より、今の自分の方が数段かっこいいです、オナ禁は、絶対やるべきだと思います。

まあまあ波瀾万丈な人生 7

    私が行った高校は、ある宗教が作った学校でした。母親が、その宗教の熱心な信者で、この学校ならいっていいと言われました。この頃の私は、両親の事を嫌っていましたし、宗教なんて、くそくらえと思っていました。

     自分の幸せしか考えていなくて、ナントカ女性とエッチしたい、早く童貞を捨てたいと思っていました。この頃は、オナ猿なので、自分の欲望のはけ口としてしか女性を見ていませんでした。まさに、女性を自分専用のダッチワイフにしようとしていました。女性も、顔や外見で選び、その人の人間性とか無視でした。当然、うまく行く訳もなく、フラレ続けました。女性は、ものすごく勘がいいので、そういう自分の考えがわかったんだと思います。

    相変わらず我ながら、しょーもない男だと思います。女性って、本当は、もっと尊いもので自分自身に生きる為の活力や、エネルギーを与えてくれる存在なんです。男性と女性というものは、お互いが、陰と陽の性質をもち、陰陽が合わさって初めて本当の力が発揮できる物なのです。この世の全ては神が作りしものなのですから、存在、そのものが素晴らしいのです。私は、女性が大好きですが、今は、自分にエネルギーを与えてくれ、自分に足りないものを補ってくれる素晴らしい存在として大好きです。

    若い世代の人が、女性とエッチしたい気持ちは分かります、ただ、自分の欲望を満たす為の存在としてではなく、本当にその女性を愛してください。一度、その女性とエッチなしでも、ずっと一緒に入られるか考えてみてください。

     高校時代は、女性に興味をもって、早く童貞を捨てたくて仕方がありませんでしたが、とうとう童貞を捨てることはできませんでした。そして、大学受験を受けます。もちろん高校時代は、勉強なんて、全然してませんから、落ちました、しかも、大学いって、遊びたいと思っていたので、まあ、受かるはずもないですよね。

つづく

まあまあ波瀾万丈な人生 6

    寮生活

 

 

    高校時代の寮は、結構、上下関係が厳しくて、12畳の部屋に、一年、二年、三年と三学年が一人ずつで住んでいました。そして、一年生は、入り口の前の三畳、二年生はその横の三畳、三年生は、奥の六畳を使うようになっていて、一年生の時は、先輩が入ってきたら、立ってあいさつすることになっていました。そして、規律訓練といって、寮の一年生担当の先生に連れていかれて、ランニングさせられたり、大きな声であいさつの練習をさせられたり、誰かの声が小さいと連帯責任で全員が走らされたりしました。夜には、点呼といって、全員がローカにならばされて、番号を数え、人数がたりないと、どこにいるのかとか問題になりました。なんか、えらいところに来てしまったなと思いました。

 

      同じ部屋の三年生の先輩は、優しい人で、すごい可愛がって貰えたのですが、一つだけ問題があって、この先輩、軽音楽部で、寝る時に、必ずヘビメタを全開に掛けながら寝ます、何であんなにうるさいのに寝れるのか、今だに理解できませんが、すごいうるさくて、二年生の先輩と私は、全然寝れません、そして、三年生の先輩が、寝るとイビキをかき出すので、それを見計らって、私がコンポを止めに行くのですが、たまに、気付かれて止めるなと怒られます、本当にあれには参りました。

 

    あと、私は、六階建ての寮の五階に住んでいたのですが、何故か、六階建てなのに、五階までしか使っていなくて不思議に思っていたのですが、六階のある部屋の生徒が、昔、ガソリンをかぶって押入れに火を付けて焼身自殺したそうです、そして、その後に、その部屋に入った生徒が、訳わからんことを叫びながら、飛び降りて死んだそうで、それ以来、六階は、使われていなくて、霊の研究してる人が住んでいました。

    一年生の時、三年生に見にいけと言われ、一年生何人かで、ベランダから、その部屋をのぞきにいきましたが、部屋に砂が敷いてあって、四方にお札が貼っていました、ホンマに気持ち悪くて、ダッシュで逃げてきました。その部屋の下の部屋は、自習室になっていて、天井に赤いシミみたいな跡があって、こんなとこで、勉強なんかできるかって思ってましたが、平気な友達は使ってました、霊感の強い人は、六階の部屋の前にいったら、風が吹いて来たとか言ってましたが、私は、霊感がないのでわかりません。ただ、めちゃくちゃ気持ち悪いかんじがしました。

 

     寮対抗のラグビー大会もありました。

    各階ごとの5チームと、野球部と柔道部の7チームで年に一回ありました。私のチームは、結構、真剣で日曜日とかに集まって練習していました、そして、大会が始まると、順調に勝ち上がって優勝する事ができました、私の高校は、野球と、柔道の超名門高で全国大会の常連で、全国から選ばれたような選手ばかりなので、普通なら、一般の生徒が勝てるような相手ではないです、身体能力も全然違います。

    しかし、彼等は、遊びでやっていたし、一般の生徒を見下していたので、スクラム組んでると、下から殴ってくるし、反則ばかりで、練習もしてないから、個人の身体能力は無茶苦茶高かったのですが、チームは、バラバラでした。

私達は、何カ月も前から練習して、チームワークも良かったので勝てたのだと思います。

 

    寮生活は、毎日が修学旅行みたいで楽しかったですが、私は、オナ猿で中途半端野郎でした。つづく

 

       

 

     

まあまあ波瀾万丈な人生 5

    中学卒業のとき、私は、実家にいるのが、たまらなく嫌で、実家から、離れた高校に行きたくて、母親に相談したところ、一校だけ、行ってもいいと言われました。

    その時の中学校の担任に、相談したところ、ここは、お前の学力では、無理だと言われました。しかし、どうしても、実家から、離れたかった、私は、必死で勉強して合格することができました、そして、遠く離れた高校で寮生活が始まりました。私は、強い自分をアピールしたくて、また、いきがりました。たいして、強くなる為の努力もしてないのに、周りは自分のことを知らないから、調子に乗っていきがってましたが、臆病な根性無しのダメ男だったので、すぐ不良の学生にお前調子に乗ってたら殺すぞと言われ、すぐに平謝りし、本当に中途半端にいきがってました。

    だから、コンビニで、万引きしたり、パチンコしたり、でも、中途半端だから、ホンマに悪くてケンカの強い子には、金かしてくれって言われて、絶対、返してやって行っても、返して貰えず、強くも言えなくて泣き寝入り、みたいな感じでした。

    部活にも入りましたが、女の人にモテそうだからと、テニス部にはいり、半年ぐらいでやめちゃいました。このころも、まだ、オナ猿で、寮で隠れてオナニーしてました、高校時代は、本当に中途半端でしょーもない男でした。

   今は、正直、強くなって、喧嘩する覚悟が持てるようになったので、人にケンカも売られないし、喧嘩しないといけない状況になったら迷わずケンカします。勝てるかどうかはわかりませんが、そういう風に腹をくくれるようになったことが大切だと思っています。こんな風に変われた話は、いずれします。

 

 

     ただ、寮生活は、結構いろいろなことがあっておもしろかったです。寮では、いろいろなことがあったので、次は、寮生活の話をします。

まあまあ波瀾万丈な人生 4

   小学生時代は、本当に辛かったです。ただ、辛い思い出って、多分、自己防衛の本能だと思うのですが、あまり詳しく思い出せません。 

 

   こうして、中学生になる時、私は、自分を変えたいと思い、チョットいきがり始めました。しかし、もともと臆病でケンカする勇気もない男でしたから、プチデビューみたいな感じでした。小学生時代は、おとなしくて、図書館で本を借りて読むのが、楽しみで家に篭っていたのですが、中学生では、サッカー部に入ることにしました。三年生には、サッカー部のキャプテンにもなりました、この頃、人生初のモテ期だったみたいなのですが、好きな子には、告白してフラレたし、モテた実感はありません。ただ、妹や、妹の友達には、お兄ちゃんカッコイイって言われていたみたいです。

 

高校時代に、つづく