まあまあ波瀾万丈な人生 16
こうして、山奥での先生を続けていました。
その間、実家には空手の先生が私に合わせて欲しいと、何度か足を運んできたそうです。
私は、好きだった 空手が出来なくなって、何もやる気がでなくて、毎日、ボーッとしていました。それを見かねたおじいさんが、私に『暇ですることがないなら、この本を読んでみなさい』と本を渡してくれました。
その本は、谷口雅春と言う人が書いた本で【生命の実相】という本でした。
この本は、宗教的な本で、この谷口雅春という人が、天の導きによって書いた文章や、キリスト教や、仏教などの教えの解釈の仕方など、実例を挙げて書いていました。
おばあさんが、若い頃、病気をわずらい、医者にも見放された時に、この教えに出会い救われたそうでした。
私の家は、母親がある宗教の熱心な信者でしたが、夫婦は、家庭内別居状態で幸せな人生を送れているようには見えませんでした。だから、私は、神様を信じていませんでした。
空手の先生に、毎日、しばかれていたとき、私は、神様を信じていませんでしたが、この地獄から抜け出したい一心で、毎日、今日こそはしばかれないようにとお願いに行きました。時には、5000円もお賽銭をいれたこともありましたが、何も変わらなくて、やっぱり神様なんていないんやと思いました。
そんな私ですから、『宗教の本なんて面白くないやろーけど、暇つぶしに読んだろか』という気持ちで読み始めました。
読んでいくうちに、何故、神は人を救わないのかという理由が書かれていました。
実は、神様(我々、人間を作った大いなる存在)は、我々、人間が幸福になる為のすべての物を与えてくださっていて、不幸になるのは、その人間の心の在り方の問題だと書いていました。
結局、私が人生うまく行かなくて苦しんでいたのは、自分が、自分が幸せになることばかり考えていて、周りを幸せにすることを考えていなかったから、幸せになれなかったということがわかりました。
しかし、子供の頃は、そこまで悪い心を使ってなかったし、家庭が調和していなかったりしたのは、私のせいじゃないんじゃないかと思いました。
それも、本には書いていて、命は行き通しであり、前世で積んだ業を、今世で消さなければならない、『撒いた種は、皆、生える』で、いい種も、悪い種も、自分が撒いた種は、いずれ実り自分が刈り取らなければならない時が来ます。
だから、前世で撒いた種が、今世で、現れていて、自分がさして、悪い心を使っていなくても、不幸になったりします。
それも、自分しだいで、変えることも可能だと書いていました。
こうして、私は、自分の生き方を変え、誰かの幸せの為になる様な生き方をして行こうと思う様になりました。