成功する人生

自分の人生の記録に書いてるので、興味があれば見てください。

まあまあ波瀾万丈な人生  10

 こうして、アメリカ行きを断念した、私は働くことにしました、この頃は、家に食費を三万だけいれて、実家に住んでました、一人暮らしをするとわかりますが、生活費は、三万ぐらいでは、全然、足りません。家賃や食費、光熱費と、十万ぐらい必要になってきます。安く生活をさせてもらっていたのに、母親に文句ばかり言っていました。

 

 最初に着いた仕事は、運送屋で、午前中は、二トントラックで、商店への配達をして、午後からは、小荷物の宅配する仕事でした。

 まあ、免許も取ったばっかりで、運転も全然下手くそなのに、かっこつけてて、今は煙草を吸っていませんが、この頃は、吸っていて、煙草を吸いながら運転していました、いつも煙草をスピードメーターのところに乗せていて、ハンドルの間からそれをとって吸うみたいなことをしてました。そして、いつものように煙草を取ろうとした瞬間、急に人が出てきて、避けようとハンドルを切ったら、腕がハンドルに挟まって、そのまま溝に落ちてしまいました。少しハンドルをきれば、避けられるような感じだったのに、会社の上司にめっちゃ怒られました。そもそも、何でハンドルの間から、煙草を取っていたのか、取りにくいし他にも置く場所あったんちゃうんかな?って思います。

 宅配の方は、新人だったので、物凄い山奥ばっかり、行かされました。今みたいに、携帯電話とかないんで、荷物の送り状を見てゼンリンの地図で調べて行くのですが、家がなかったり、道に迷ったり、本当に担当させられた区域が、民家が一軒もないような山道を延々走っていくと、ポツンと家があったりして、暗くなると、街灯もないんで、怖くなって泣きながら会社に無線を入れて帰らしてもらったりしてました。帰ると、夜、水商売しているバツイチ子持ちのねーちゃんにぼろくそに言われて、泣かされたりしていました。オイル交換して下のネジを閉め忘れて、エンジン潰したりしてましたね。後、本当に申し訳ないんですが、よくカタログショッピングのカタログの配達があったのですが、どうしても見つからない家が何件かあって、山に捨てていました。

 こんな感じで、相変わらずダメ男君でした。この仕事も一年ぐらいで辞めてしまいました。つづく